初めましてのご挨拶

 

こんにちは! HITOMIと申します ❤︎ 私のことを知らない方がたくさんいらっしゃると思いますので、まずは自己紹介させていただきます ❤︎

❤︎目次❤︎

1 幼少期〜中学時代: ものすごく飽き性で自由人

2 高校時代〜大学時代: 遅刻ばかりで学年トップ3に入ってました

3 子供の頃の夢 : 漫画家になりたかった

4 学生の頃の夢 : 女優になりたかった

幼少期〜中学時代: ものすごく飽き性で自由人

生まれは埼玉県。物心着いた時には東京に住んでいました。

習い事で1番続いたのはピアノで、あとは水泳、英会話、お絵描き教室など幅広く通わせて貰ってました。中でも小さい頃から絵を描くのが大好きでお絵描き教室には楽しく通っていました。自分の肌に合わないとすぐに辞める性格で、本当に散々両親に我儘を言っていました。

家族は仲が良く、小さい頃は年に何度も旅行に連れて行ってもらい、思い出の写真も山ほど残っています。小さい頃からお父さんっ子とかお母さんっ子ではなく、「家族っ子」だった気がします。それもあってか学校では自分の性格を上手く表現できず、クラスでとても地味な女の子でした。小学校低学年の時はクラスの女の子に意地悪もされていたし、男の子と上手くコミュニケーションも取れないほどでした。

私にきっかけを与えてくれたのは小学校3年生に上がった時の事です。担任の先生がとても熱血教師だったんです。クラスを1つにまとめようと縄跳び大会を自分のクラスだけ率先して開いたり、放課後でもクラスみんなで遊んだり。今でもその先生には感謝しています。その先生のおかげで人生で初めてクラスでいわゆる「派手面」と言われるグループに入りました、、(笑) その子たちの影響力は凄まじいものでした。小学3年生なのにK-POPが好きでライブに行っている子もいたし、当時流行っていた”ニコラ”という雑誌を毎月買っている子もいました。お洋服なんて全く意識した事なかった私がお洋服に興味を持ち、アイドルを好きになったりしました。月のお小遣いをほとんど自分の娯楽費へと費やしていました。当時の私は、友達に嫌われたりハブられたりするのが怖かったんです。

小学校高学年に上がると中学受験を決意した私は、友達と遊びに行ったり放課後話したりする時間を勉強に費やしました。クラスでも特に頭が良い方ではなかったので、人一倍努力したと思います。高学年になってからの私と今の自分の性格はあまり変わらないと思います。この時くらいから私の自由奔放で破天荒な性格は完成してるのです(笑)

中学受験で躓き、第一志望にも第二志望にも落ちた私は親が必死に見つけてくれた中学に願書を出し、滑り込み受験しました。最終日の倍率は高く、120人中20人くらいしか合格しなかったのですがそこで何とか合格することができ、文化祭や説明会にも行ってなかった日本大学第一中学校に入学が決まりました。入学してからまず最初に、友達作りに苦労しました。黙っていると何を考えてるかわからなくて怖い、性格が悪そうと言われるんです(笑)話すとお喋りなので、ありのままの自分の性格で仲良くする事を決意し、席が前後の子には積極的に声をかけたのを覚えています。クラスの雰囲気でいうと、かなりませている子が多かった気がします。「他クラスの男の子と付き合っている」とか「あの服のブランドがどうだ」とか噂をよく耳にしました。当時自分は本当に勉強が苦手分野になっていました。小学校の時は勉強しなくても満点が取れたのに、算数が数学になって、理科が化学になって、、、。どんどん成績は落ちていっていました。同時に勉強なんてやってられるかー!とやけくそにもなっていました。補習には毎回引っかかっていましたし、クリスマスもお正月も学校で勉強させられていた記憶しかありません。(汗)とほほ、、、(涙)

高校時代〜大学時代 : 遅刻ばかりで学年トップ3に入っていました

 

高校生活が始まってからの私はもっとだらしなくなっていました。学校には遅刻し、時には寝坊してサボったり。両親が通わせてくれていたにも関わらず、感謝する事を忘れていました。部活もずっと帰宅部で暇だったので高校1年生からずっとバイトしてました。飲食店や日給バイト、某有名ホテルの配膳業など。早い段階で社会に揉まれた人間になりました。(笑)特に配膳業の時は厳しく叱られて、泣いて帰ったこともしばしばありました。大人に怒られる機会が1番多かった時期だと思います。

特に大学進路を決めていなかった私は、母親に勧められ女子美術大学短期大学部造形学科に入学しました!大学ではメディアを専攻して、1年は版画やイラストレーション、染めなど幅広く学び、2年生では動画編集を主に習っていました。特に自分はデフォルメした絵が好きで抽象的に描くので、イラストレーションが楽しかった記憶があります。週5でバイトをしながらも必死に通って何とか卒業単位を習得しました。

子どもの頃の夢 : 漫画家になりたかった

幼稚園生の時からお外で遊ぶよりも教室で絵を描いているのが好きで、気づけば”ちゃお”や”りぼん”に憧れて、漫画家を目指していました。誕生日やクリスマスプレゼントは毎回お絵描きセットや筆などをもらっていました。オーディションに応募しようとまでなっても、文章力がついていかず結局応募もしないまま夢を諦めました。今の私がこのブログを通してライティンング力をつけて、漫画家になったとしたらどこまで出来るんだろう、と考えました。当時小学生の私が必死で描いた漫画は今はどこへ行ったんだろう。子供の頃に描いた夢は私にとって大きく2つあって、どちらもかけがえのない思い出になっています。特に次に話す夢はとても長く、印象深い出来事がたくさん起こりました。

学生の時の夢 : 女優になりたかった〜こんな私でも躁鬱病になった話〜

それは中学2年生の時の出来事。原宿の竹下通りでよく買い物をしていた私が芸能事務所にスカウトされました。元々、業界には興味があった私は二つ返事で了承し、訳もわからず親にサインしてもらい契約しました。最初何をしたかというと”地下アイドル”でした。地下アイドルとはいわゆる「マスメディアへの露出よりもライブ等を中心に活動するアイドル」のこと。ひとまず土日は毎日6時起きでレッスンに通いました。簡単な振り付けから、難しい振り付けまでをコンスタントに覚えて披露する日々が続きました。学校の誰にも話さず通っていたので「部活もやっていないのに忙しそうだね」と嫌味を言われた事もあります。とんでもないところへ飛び込んでしまった、と私は思いました。女同士の僻み合い、噂話、悪口が常日頃飛び交っていたからです。人間関係が怖くなるほど気の強い子もいたし、中学生という繊細な時期に水着動画まで撮りました。現場でも家に帰ってからも大号泣しました。これが世に出回って学校にバレたら・・・考えるだけで震えが止まりませんでした。ダンス講師の先生が厳しく、朝4時起きで始発でレッスンに通い、1つの振りを間違えただけで2時間説教されて貧血を起こした事もあります。毎日のように講師に怒鳴られて、泣いて帰っていました。そんな生活を2年間訳もわからず繰り返していたらある日、レッスンに行くのが本気で嫌になり、新宿のトイレでボイコットしました。携帯の電源を切って、ずっと引きこもりました。電源を切った中でレッスンが始まってるかも確認できず、ひたすら震えて泣き続けました。人生であんなに長くトイレにいた事はないでしょう(笑)でも、それくらい追い込まれていました。やりたくない事を続けられない性格なのに、それを2年間続けてしまった。それが私を壊れさせるきっかけでした。帰った後両親に限界な事を伝えると、すぐさま契約破棄の手続きをしました。

もう芸能界なんて・・・と思っていた時、また別の事務所に声をかけられました。でも、今度の事務所は大手事務所で知っているタレントがたくさんいるところでした。しかも私が興味のある演技のレッスンが無料で受けられると知って、またもやすぐレッスンに通い始めました。そこでのレッスンはとても楽しく、勉強になるものでした。実際にテレビに出ているタレントさんが指導してくれる時もあったし、一緒にグループになってその人と演技する事もできました。大学になるまで目指していましたが、大学を優先できない事務所にいたので、優先順位的に大人になって叶わなかった時を考え事務所を辞める決意をしました。

 

この”諦める”という行為を自分はもう二度としたくないんです。これから何度も何度も夢や憧れを描ける訳じゃないのに、1つ1つ”それ”を失っていく怖さをもう2回も経験しました。諦める虚しさや切なさはもう経験したので、今度は叶える難しさを経験したいです。だからこれから自分は夢を叶えるために必死に努力と勉強をすると決めました。

このブログを通して私と同じような20代女性へ

女性として生きることの楽しさ

美しく生きる方法

SNSの運用方法

生き方1つで女性は大きく変わる。食べるものも寝る時間も化粧の仕方も全部自分で変えられる!そして2020年12月に独立できるように私が毎日取り組んでいることなどを発信していきたいと思っています!

皆さんのお役に立てるようなブログを書いていきたいので読んでいただけると嬉しいです!最後まで目を通していただきありがとうございました!


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